日本の地雷とJCBL
JCBL事務局 2007/1/31掲載日本政府は、1994年から97年前半までに、カンボジアの地雷除去や被害者支援に33億円を超える資金協力をしてきました。しかし、対人地雷の全面禁止をめざしたオタワ条約締結に向けたオタワ・プロセスが始まったとき、日本政府の姿勢は消極的で、参加の意向を示していませんでした。そこで、何とか日本政府が参加するように説得したいとの思いで、1997年7月にJCBLが設立されました。
JCBLは、設立直後の8月、当時の橋本龍太郎総理大臣あてに「例外なし、保留なし、抜け道なし」のオタワ条約参加の要望書を提出し、11月には、オタワ条約への無条件の参加を求める約35,000人分の署名を小渕外務大臣(当時)に渡しました。
そしてとうとう97年11月、オタワ条約調印式の直前に、日本政府はオタワ条約に参加する意向を表明、12月3日の調印式には、小渕外務大臣自ら出席し署名をしました。
せっかく小渕大臣自身が署名したオタワ条約でしたが、日本国内での審議は99年までされない、つまりそれまで条約を批准しないということがわかりました。それではいけない、ということでJCBLは、早期批准を目指すシンポジウムを98年5月に開催し、同時に署名活動も展開、約20万人の署名をそえた早期批准の要望書を小渕総理大臣(当時)に提出しました。さらに国会議員に対するロビー活動も行いました。その結果、国会は、オタワ条約の批准を98年9月30日に承認しました。これで日本は、99年3月1日に条約が発効する最初のグループの一員になることができました。
オタワ条約第4条は、貯蔵地雷の廃棄を義務付けています。それまで日本は、約100万個の地雷を保有していましたが、2003年2月までに訓練用に残した6000個を除いたすべての対人地雷を廃棄しました。