日時:7月22日(土)14:00-16:30 (13:30開場)
会場:日本赤十字社ビル101会議室(東京都港区芝大門1-1-3 日本赤十字社ビル1F )

ICBL国際大使 トゥン・チャンナレット氏 プロフィール

カンボジア、プノンペン生まれ
1982 年、反体制派の兵士としてタイ・カンボジア国境にて従軍中ジャングルの中で地雷を踏み、自分自身で両足を切断。その後、タイの難民キャンプで職業訓練を受け、数年を過ごす。
1993 年、カンボジアに戻り、他の地雷被害者のために車いす製作を始めるとともに地雷廃絶運動に参加。紛争中は敵として戦っていた他の3 人の地雷被害者と一緒に「地雷廃絶」を訴え、100 万人の署名を集めた。地雷禁止国際キャンペーン(ICBL)に参加後は、国際大使として世界各国の要人に地雷廃絶を訴え、1997 年にICBLがノーベル平和賞を受賞した際には犠牲者を代表してメダルを受け取った。
現在もICBL 国際大使として世界を飛び回る一方で、カンボジア国内の犠牲者支援に奔走している。


カンボジア式の挨拶で講演がスタートしました。お互いの敬意を表する為にこのような挨拶をするそうです。

『JCBLとはノーベル平和賞やオタワ条約(対人地雷全面禁止条約)の成立前から共に活動してきた縁もありますので、20周年記念のこの機会に講演をすることはとても光栄なことだと思っております。私はICBLの国際大使として活動をしています。ICBL大使にもいくつかタイプがありますが、私は草の根の立場の代表として活動しています。日本政府は1993年から現在に至るまで地雷対策に関する支援をしてくださっています。日本の皆様にとても感謝をしています。

ノーベル賞を97年に受賞して20年が経ち、オタワ条約には現在168ヵ国が加盟しています。しかし全ての国が条約に加盟しているわけではありません。残りの国も含めて全ての国が地雷を禁止していかなければなりません。そうしなければ、前世紀のように多くの人が傷つく可能性があります。地雷、クラスター爆弾、ミサイル、核兵器などの兵器がある中で、私たちがいま頑張らなければ、次の世代の人たちはどのような世の中を迎えることになるでしょうか。私には子供が6人います。私は彼らに何を残すことができるでしょうか。もし皆さんが沢山のお金を持っていたら、あなたは子どもたちに何を残しますか。

ノーベル賞の後、いくつかの国は、地雷対策のお金を支援してくれました。しかしそれは今、どんどん減っています。でも私たちは被害者がゼロになることを目指したいし、目指していかなければいけないと感じています。それは決して遠い話ではなく、できるだけ早く、明日にでも明後日にでも達成したいという思いがあります。そのために私たちはもっともっと強い一体感を持って、政府あるいはドナーに訴えかけて被害者をゼロにする力をつけなければいけません。

日本とカンボジアを比較したいということではありませんが、少しその話をしたいと思います。日本は第二次世界大戦のときに原爆を落とされました。日本は戦後、再建のために努力をしてきました。そして日本の復興はとても速かったです。一方カンボジアは、長い内戦や地雷に悩まされてきました。カンボジア政府はそれをまともに修復できているとは思えませんし、汚職などの問題も無視できません。私は1993年に難民帰還としてカンボジアに戻りましたが、そのとき以来、問題はなかなか解決されていません。

昨夜、私が泊まった日本のホテルの部屋は、トイレもバスルームも全てバリアフリーになっていました。日本では障害者のアクセスがいろんな意味で確保されているのを見て、私は自分の実力を恥ずかしく思いました。カンボジアでも障害者のアクセスに関する様々な議論は聞きますが、ほぼ口だけで終わってしまいます。私は、実際に具体的な行動が必要だと思います。

JCBLや上井さん(※1)は、何年も前からカンボジアで足を失った被害者のためにバリアフリートイレを支援するプロジェクトをずっと続けています。支援活動は、その方法がとても大事です。単にお金を渡すだけではなく、実際に人々の暮らしを見ながら考えてほしい。JCBLの内海さんや上井さんは実際に現地にきて一緒に活動してくださいました。オタワ条約には貯蔵地雷の廃棄や埋設地雷の除去など様々な規定が盛り込まれておりますが、被害者支援に関してはやはり具体的な行動支援を続けていかなければなりません。これからもできるだけ長く続けていけるよう、みなさんと相談しながら続けていきたいと思っています。』

(※1 リズムネットワーク代表。JCBLのバリアフリートイレプロジェクトを2014年より引き継いでいる)

講演はこれからの挑戦についての話が続きました。

『20年経つ今、これからの挑戦について2つお話したいと思います。

1つ目は、アジア地域における条約未加盟国にどう向き合っていくかということです。東南アジア地域ではカンボジア、タイ、フィリピン、マレーシアなどの国が加盟していますが、まだ加盟していない国が多い地域でもあります。国によっては条約に署名したもののまだ加盟していなかったり、加盟していてもしっかりとした行動が伴っていなかったりするので、ひとつひとつ確認をしていきたいと思います。私たちは、2025年までに全ての目的を達成しようという期限目標を設定しています。(※2

2つ目は、障害者の生活の質の向上についてです。カンボジアは農業国として、人々は土地に根差した生活をしていましたが、今は外国に出稼ぎに行く人の数が急増しています。出稼ぎに加え、カンボジア国内に新しくできた韓国や中国の企業に勤める人の数も増えています。町を中心に次々と土地が外国企業に買収され、大きな看板がたくさん立てられ、人々の農地は他の用途に代わっていっています。日本の皆さんが国境を越えて仕事を探しにいくことはおそらくあまりないでしょう。カンボジアに暮らす障害を持った人々が暮らしていくためにはどうすれば良いでしょうか。93~95年頃はアンコールワットやオールドマーケットの周りで障害のある物乞いの人が沢山見られましたが、今は見られません。町の景観に悪いということで政府に排除されました。彼らの生活はこれからどのように立て直したら良いでしょうか。多くのNGOもカンボジアから去り始めています。政府の動きは依然として遅い中、我々はどのような活動をしていけばいいのでしょうか。私は政府に人々の暮らしに向き合うよう訴え続けています。今日はたくさんの学生の方もいらしているので皆さまにお願いしたいことがあります。このような現実を、学校の先生やご両親やお友達に皆さまから是非伝えてほしいです。2025年までに完遂するという目標に向かってまだやらなければならないことが沢山あります。2025年以降も、地雷により障害を負った方やその家族の苦労がなくなるわけではありません。』

(※2 2014年にマプトで採択された「マプト+15宣言」2025年までに条約で定めたすべての課題を完結させようという目標が謳われている。)

この後は、質疑応答が続きました。

『カンボジアのバリアフリーは都市部でも農村部も足りない部分が沢山あります。農村部は人々の助け合いが強いので、都市部よりもいくらかマシかもしれません。』
『都市部はどんどん発展しているように見えますが、一方で多くの人が土地を失っています。貧しい人や障害を持った人は本当に困ったときに銀行からお金を借ります。しかしお金を返すときにどうやって返せばいいのでしょうか。結局は土地を手放すしかありません。そして手放された土地を外国の企業が買い漁ります。そのような外からくる経済の勢いと厳しい状況にいる人たちの生活のギャップというのはとても耐えがたいものがあります。加速する状況を我々はどう止めたらいいのでしょうか。出稼ぎに行かなければならない人々もいますし、都市部のホテルでは沢山の若いカンボジアの人たちが働いているのが見られます。ただそのホテルはカンボジアに属しているものではなく、外国の資本でできています。これがいまの経済のひとつの姿です。シェムリアップには立派なホテルが沢山建っていますが、それらほとんどがカンボジアには属していません。日本の資本のものもあります。観光客がそこに集まってしまい、カンボジアの人たちにはお金は落ちないという問題もあります。』

チャンナレット氏はこれまで何度か義足を作った方が良いのではと言われたことがあるそうです。しかし自分自身の生活よりも、カンボジアの子どもたちが大事であり、彼らが十分に食べるものがあるかが最大の関心事であると繰り返し仰っていました。次世代のために自分たちは今もっと頑張らなければいけないのだという強い思いが溢れる講演でした。(幸坂)

第2部、第3部についてはこちらのページで紹介しています。