ミャンマー現地レポート1:心の支えは家族の存在

皆様、あけましておめでとうございます。JCBLの下田と申します。1月1日~4日までミャンマーのカヤー州に来ています。昨日、早速、義足を手にしたサバイバーの方を訪問してきました。

U Saw Ka Do Mhuさんの自宅を訪問

以前、インタビューにこたえてくれたU Saw Ka Do Mhuさんのご自宅に招かれました。州都ロイコーから車で45分。みどり生い茂る山に囲まれたデモソ・タウンシップに彼の家がありました。

12月、KNHWOで義足を手にしたU Saw Ka Do Mhuさん

 

1月1日、彼が住むデモソの村まで車を走らせた

 

ちょうどお正月ということもあって大勢の家族に迎えられ手厚いおもてなしを受けつつ、お話しを伺いました。

地雷の被害に遭った時のことを教えてください。

ちょうどタイとの国境地域で軍のポーター(荷物運び)に従事させられているときだった。同じポーターをしていた3人が地雷を踏んで2人は残念ながら亡くなった。私一人が生き残って、ロイコーの病院まで移送させられて、でも、そこでは何の処置もできなかったんだ。

その時はもうご結婚されていたんですか。

ポーターに従事させられる2か月前に妻と結婚したんだ。私の事故を聞きつけてロイコーの病院まで来てくれた。「人生これから!」と思っていたからね、こんな事故に遭って正直、自暴自棄になったよ。妻の人生のことを考えると一緒に生きていくことに自信が持てなかった。「もういいから帰ってくれ」と言ったんだけど、「いいえ、ここに居ます」って言うんだ。「苦労するのはなんでもない。あなたと結婚したのはこういう運命だから。これは私の務めです」と言ってくれてね。申し訳ない気持ちもあったし本当にありがたい気持ちでいっぱいだった。

その後の人生はどう歩まれてきたんですか。

実際にはその後のほうが長いからね、全部は思い出せないけど。おかげで7人の子どもに恵まれた。でも、村の中に戻っても私にできることはほとんどなかったよ。村の中を見渡しても地雷の被害に遭った人は私以外にいない。奇異の目にさらされるのが嫌でほとんど家から出なかった。元々牛を育てたり家畜が好きで勉強しているうちに、村の人からたまたま声を掛けられて家畜の病気を診るようになった。妻は畑仕事を本当に頑張ってくれて、私も草の根獣医で少しずつ収入を得られるようになって村人からも信頼されるようになった。実は長女はデモソの学校に通っていて次年度はマスター(修士)に進学するんだ。自慢の子どもたちさ。この子たちの存在が生きる励みだったよ。

義足を手にして、これからどうされますか?

まだ一番下の子が7歳。家族のためにまだまだ頑張らないといけない。義足を手に入れてこれからはもっと行動範囲が広がる。村人の家畜を守っていく仕事をこれまで以上に頑張りたい。これまで支えてくれた妻と村の人たちに貢献したいと思っているよ。

(下田)

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