10年前の今日 / クラスター爆弾禁止 Global Day of Action

クラスター爆弾禁止条約(通称オスロ条約)は2008年に成立し、今年で10周年を迎えます。

JCBLは「第二の地雷」と呼ばれるクラスター爆弾の禁止活動にも力を注ぎ、条約参加に消極的だった日本政府へ何度も働きかけ、2008年12月成立のクラスター爆弾禁止条約に日本は署名をしました。

JCBL会員のみなさまには定期的にニュースレター等で活動報告をして参りましたが、これからはホームページ上でも紹介していきたいと思います。

今回は、ちょうど10年前の今日の出来事についてご紹介します。

2008年4月、オスロ・プロセスの最終段階、いよいよ条約が採択されるダブリン会議を前にしても、日本政府は条約への賛同を表していませんでした。日本ではクラスター爆弾について広く知られていなかったことから、被害者自らの問題提起によって世論を喚起し、日本政府を動かす流れを作りたいと切に願い、JCBLはCMC(クラスター兵器連合)大使のブラニスラブ・カペタノビッチさんに力添えを依頼し、日本に招へいしました。セルビア人のカペタノビッチさんは、ユーゴスラビア軍に地雷除去の専門家として勤務していたときにクラスター爆弾の被害に遭い、四肢をなくした被害者です。

カペタノビッチさんは2008年4月12日〜21日の日本滞在中、休みなく各地を回って、自らの声、体、魂の全てをかけて「悲劇を繰り返してはならない」と何度も訴えました。数多くの政治家との面会、院内集会、学校での講演会、大使館訪問、シンポジウム開催、アースデイ東京でのアピール、そして名古屋グランパスエイトのストイコビッチ監督(当時)との面会。テレビ出演や新聞報道等、メディアでも非常に多く取り上げられ、日本国内でのクラスター爆弾についての認知が一気に広まり、日本政府の政策転換の大きな力となりました。

4月19日は、グローバル・デイ・オブ・アクションと呼ばれる日で、世界のあちこちでクラスター爆弾の禁止を訴える行動が行われました。(詳細はICBL-CMCのHPへ:英語)カペタノビッチさん来日中の日本では、「グローバル・デイ・オブ・アクションシンポジウム」を開催しました。下記の講演録をぜひお読みください。

⇨【講演録】グローバル・デイ・オブ・アクションシンポジウム報告

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