朝鮮半島の和平と地雷問題に注目します

幸坂説子 JCBL

 2018 年 4 月の南北首脳会談に続き、6 月には米朝首脳会談も開催され、かつてなく朝鮮半島の情勢が大きく動いています。朝鮮半島の和平に、地雷問題は大きく関わっています。南北緊張緩和の際、埋設地雷や貯蔵地雷の処理はどうするのか、被害者支援はどうするのか、地雷対策は重要な課題となります。

 2018 年 5 月 2 日〜 3 日、台湾・台北市で「地雷廃絶のためのアジア・プラットフォーム」が開催されました。台湾でアドボカシーや地雷除去や地雷被害者への国際支援を 20 年以上にわたり牽引してきたエデン社会福祉財団の主催で、アジア地域の ICBL キャンペナーが参加した。参加者は、それぞれの国でどのようにアドボカシーや地雷除去や被害者支援を行ってきたかを共有し、特にアジア地域における最新の地雷の状況に注目して、世界にまたがる地雷の問題について議論しました。会議にはベトナム、ウガンダ、スリランカから若い地雷被害者も参加し、台湾でどのように地雷の問題を市民に広め、そして活動を盛り上げていったのかのキーポイントを学びました。

 JCBL は残念ながら日程が合わず参加していませんでしたが、エデン社会福祉財団の担当者から連絡を受け、声明『平和的に統一したコリアは地雷なきコリア』(次頁)を共同発表しました。

 2013 年に台湾が領土内全ての地雷除去を終え、現在、日本から最も近い地雷原は朝鮮半島にあります。朝鮮戦争でたくさんの地雷が埋められ、その後も板門店事件発生やソウルオリンピック開催の時など在韓米軍により幾度も地雷が使用されてきました。そして今でもなお沢山の地雷が埋まっています。なかでも朝鮮半島の軍事境界線の南北各 2km に及ぶ非武装中立地帯(DMZ)には、韓国側だけでも 100 万個以上の地雷が埋設されていると言われ、その埋設密度は世界一と言われています。

 韓国と北朝鮮は、いずれも対人地雷全面禁止条約(オタワ条約)には入っていません。韓国政府は、北朝鮮からの脅威が続く限り対人地雷は軍事上必要であると表明していました。
 JCBL はオタワ条約の普遍化を進める活動の一環として、2001 年より韓国地雷対策会議(KCBL)と協力し、韓国政府のオタワ条約加盟を促すための活動を企画し、ニュースレターでの報告やイベントの開催を行ってきました。
 2001 年に KCBL が実施した地雷原調査の結果、韓国には DMZ 周辺以外にも 36 地域もの地雷原が存在することが判明し、各地で地雷被害者の存在も確認されました。翌年のワールドカップ開催予定都市であるソウル、釜山、大邸、仁川、蔚山にも地雷が埋設されていることが明らかになりました。そこで KCBL は韓国国内で記者発表を行い、JCBL は日本に地雷被害者を招きシンポジウムを開催しました。この結果、「韓国には民間人地雷被害者は一人もいないし、DMZ 周辺以外には地雷原はない」という韓国政府の見解を撤回させることができました。
 JCBL とアーユス仏教国際協力ネットワークは、『コリア企画』と称し、朝鮮半島の地雷問題について取り組みます。まずはコリア企画第一弾、第二弾として、7 月に KCBL の趙載国事務局長を迎え、東京と大阪の2カ所で最新情報を交えた韓国の地雷についての勉強会を開催します。

 またこの会合では、4月の南北首脳会談について、特にアジア地域の地雷問題のキーである朝鮮半島の地雷対策も話し合われ、ICBL のメンバーとして和平への動きを歓迎し、両国政府が、地雷対策も同時に考えていくよう促すための声明を発表することが決まりました。JCBL 代表理事の清水は「地雷除去を早期に進め、人々の往来を活発にすることは、和平プロセスに欠かせない環境整備だ」と今回のテーマの重要性を指摘しています。
JCBL は、今後も朝鮮半島情勢を注視し、タイムリーな企画を開催してまいります。

アーユス仏教国際協力ネットワークより

 日本は、冷戦構造のなかで守られ豊かさを享受してきた一方で、朝鮮半島の分断がどのような痛みをもたらしてきたか、例えば、地雷被害者がどれだけ見捨てられてきたかに思いを致すことはほとんどありませんでした。
 南北や米朝の首脳会談が実現して、冷戦の次のステップに進もうとしている今、私たちは批評家になるのではなく、これまで目の向けられてこなかった問題を自分事として捉え、どのような「平和」を望むかを具体的に考える必要があります。
 アーユスも、JCBL が提供してくださる情報をもとに、
同じ思いを持つ人たち手を携えて輪を広げていきたいと思います。 (寺西澄子)

平和的に統一したコリアは地雷なきコリア

 このところの朝鮮半島における前向きな進展は、世界を驚かせ、平和は可能だと示しました。まだこれから先にやるべきことがたくさん残されてはいますが、朝鮮半島における争いを終結させようという政治的な意志に、アジアの地雷廃絶キャンペーンは賞賛を贈ります。南北コリアの平和宣言は、この地域の平和構築に向けた努力に大きく貢献し、非軍事で平和を達成するやり方に大いに自信をもたせる先駆けとなるでしょう。
 この素晴らしい進展は、人々がそうしようと思えば、それが起こることを示しました。リーダーたちが行動すれば、そのようになります。これは、地雷禁止国際キャンペーンおよびクラスター兵器連合がもつ政治的な意志と同じです。私たちが平和や人類の原則にみんなで賛成すれば、国々はともに集うことができ、そして、ものごとを実現させます。
 平和宣言で仕事は終わりではありません。いつまでも続く平和を達成するための仕事は始まったばかりです。
 平和な統一コリアへの姿勢と取り組みを支持すると同時に、私たちは、地雷とクラスター爆弾の廃絶を訴えたいと思います。今こそ、戦争で残された爆発物をすべて除去し、犠牲者を救済、支援し、保有するこれらの兵器を破棄すべき時です。双方には、平和の配当として、地雷禁止条約とクラスター爆弾禁止条約へ直ちに加盟することを求めます。

□地雷廃絶のためのアジア・プラットフォーム

 地雷廃絶日本キャンペーン
 韓国地雷対策会議(KCBL)
 ピース・シェアリング・アソシエーション
 ネパール地雷廃絶キャンペーン
 フィリピン地雷廃絶キャンペーン
 スリランカ地雷廃絶キャンペーン

□ICBLメンバー団体

 アフガン・ランドマイン・サバイバー・オーガニゼーション(アフガニスタン)
 ヒューマニティ &インクルージョン・ラオス(ラオス)
 サステナブル・ピース&ディベロップメント・オーガニゼーション(パキスタン)
 エデン社会福祉財団(台湾)
 セルフヘルプグループ・オブ・ピープル・ウィズ・ディスアビリティーズ・イン・アランヤプラテート(タイ)
 ノンバイオレンス・インターナショナル・東南アジア(タイ)
 アソシエーション・フォー・エンパワメント・オブ・パーソンズ・ウィズ・ディスアビリティーズ(ベトナム)

第9回会員総会報告

幸坂説子 JCBL

6月20日、JCBL事務所のあるクリエイティブ One秋葉原6階にて、会員総会が開かれました。正会員総数94(個人79名、団体15団体)のうち、出席者15名と委任状提出25名の計40名の出席をもって本総会は成立し、議案についても全て原案通り承認されました。以下に会員総会の報告をいたします。

◆第1号議案:2017年度活動報告および決算報告
 はじめに清水代表理事より、2017年度はアーユスの組織強化支援の助成金を受けて専従事務局員1名を置けるようになり、それまでは活動量が低下していたところ再び活発に活動できるようになったと報告された。2017年度はオタワ条約発効20周年の節目にあたり、条約のこれまでの成果やこれからの課題について確認した他、第16回オスロ条約締約国会議(オーストリアのウィーンで12月に開催)に出席したことや、5月に行ったクラスター爆弾投融資禁止キャンペーンが大きく世論を惹きつけ、その半年後に大手金融機関がポリシー変更を表明したなど大きな変化があった。JCBL設立20周年企画でチャンナレット氏が来日し講演会を行う他、クラウドファンディングも実施し、ミャンマーの地雷被害者への義足支援を行った。私たちなりには例年になく忙しく活動した1年だった。

 続いて決算報告。収入については寄付金が厳しい状況だったが、一方でクラウドファンディングは目標の100万円を上回る収益があった。支出は、人件費の部分で専従職員を雇った部分が大きい。さらにミャンマーの義足支援にかかわる経費、締約国会議に参加する経費がかかり、旅費交通費が大きくなっている部分はウィーン出張およびミャンマー出張が含まれているためである。

◆第2号議案:2017年度監査報告
 廣田監事より、5月21日に監査を実施したことが報告された。監査の結果、事業は適正に実施されており、決算についても2017年度における収支決算書および貸借対照表は一般に公正妥当と認められる会計原則に基づいて作成されていることを確認した。

◆第3号議案・第4号議案:2018年度活動計画および活動予算
 内海理事より、2018年度の計画および予算が報告された。今年はクラスター爆弾禁止条約(オスロ条約)採択10周年の年だが、条約の締約国は103 ヵ国と停滞しており、またシリアやイエメンなどでクラスター爆弾が引き続き使用されており、これからも注視していく必要がある。また朝鮮半島が和平に向かうところを注目しながら、朝鮮半島の地雷対策をどのように進めていけるかという点について、韓国地雷対策会議(KCBL)と共同で勉強会や関連イベントを1年間通して行っていく計画がある。予算については、会員を増やしていく意気込みがあり収入において会費が実績よりも増えている。ミャンマーの義足支援事業の助成金申請も行っている。

◆第5号議案:役員改選
 清水理事より、新規候補者は1名のみで他6名は再任であることが説明され、各候補者のプロフィールが紹介された。

<会員からのご質問・ご意見>
(質問1) 会員を増やすという目標について、具体的なプランはありますか。
(回答1) 朝鮮半島の地雷に関する企画や10月にクラスター爆弾への投融資レポートの最新版発表に関する企画を予定しているので、そこで会員を増やすことをはかりたい。オスロ条約についても今年で成立10周年、そして再来年に発効10周年を迎える。そこで会員を増やす仕組みを作っていきたいが、固まった計画がまだ報告できず申し訳ない。今後もご提案があればお願いします。

(質問2) 役員について、理事が2名退任されるのは何故ですか。
(回答2) それぞれ時間的制約や物理的な事情があり理事として携わっていくのは難しいという本人の希望によるもの。円満な退任で今後関わりが一切なくなるわけではない。若いメンバーが抜けていくのは残念だが、今後も様々な活動をする中で仲間を増やしていきたい。

(質問3) 組織基盤強化についてはどんなプランを考えていますか。
(回答3) 今年度は基本的な部分の再整備を考えている。パンフレットの改訂やホームページを充実させて基本的な発信力の底上げをはかり、まずは活動の信頼性を上げていく。ただ実際にそれを会員の増加につなげるには、まだ工夫が必要な段階にあるとも認識している。アドボカシー型の団体の財政状況は厳しいところが多い。一方、昨年度のミャンマー義足支援のクラウドファンディングで目標が達成できたことや投融資禁止キャンペーンが多くメディアに取り上げられたのは、対象や問題や具体的な解決策がはっきりしていることも理由の一つではないかと思う。今年度は朝鮮半島の地雷について取り組んでいきたいと思っているが、そこでも具体的な要望提案をあげていくなど広く一般の方に知ってもらえるようなアプローチで進めていきたい。

新任理事紹介
上沼 美由紀(かみぬまみゆき)
「自分たちの助けを必要としている人たちのために必要なことをやる、という気概に満ちた地雷撲滅運動と被害者支援活動をするNGOの存在を意識したのは90年代後半。戦略的な攻めの姿勢で目的に向けて、様々な運動を展開するJCBLに常に興味を持っていました。具体的な関わりが実現したのは2008年。『国連障害者の権利条約』制定へ向けた活動で知り合った内海さんに声を掛けていただき、クラスター爆弾禁止条約成立に向けたイベントのお手伝いをさせていただいた経緯があります。それから10年。今も変わらぬ精神でこの組織を支える優秀な幹部、スタッフの方々の中で、特別な才は何もない自分に何かできることがあるのだろうか、と、少し途方に暮れながらも、自分なりの貢献の道を模索しながら頑張らせていただく所存です。どうか宜しくお願いいたします。」

核兵器禁止条約の成立を機に考える(第2回)

目加田説子 JCBL理事

 前回のニュースレターでは核兵器禁止条約(核禁条約)成立の原動力となった「核兵器禁止キャンペーン(ICAN)」について、ベアトリス・フィン事務局長のインタビューを紹介した。特に、地雷やクラスター爆弾を禁止するICBL や CMC の活動がどう影響を及ぼしたのか詳述した。今回は、被爆者の声が条約にどう反映されたのか、そこに対人地雷やクラスター爆弾禁止条約(それぞれオタワ条約、オスロ条約)の経験がどう関わっているかみてみよう。

◆国際世論に届いたヒバクシャの声

 昨年 ICAN がノーベル平和賞を受賞した際、フィン事務局長と共に大きくクローズアップされたのがサーロー節子さんだった。7 月に核禁条約が成立した会議場で喜ぶ姿が何度もメディアで取り上げられたので、記憶している方もおられるだろう。サーローさんは 13 歳の時、広島で被爆した。辛うじて一命を取り留めたものの、一瞬にして多くの友人が命を奪われ、4 歳だった甥を含む親族も亡くなった。当時の鮮明な記憶に基づく証言、そして「核兵器は必要悪ではなく絶対悪」という訴えは、「ひとたび核兵器が使用されたなら、誰も救済する術はもっていない」という赤十字国際委員会の報告書と呼応し、核兵器の禁止を求める国際世論の形成に大きく影響を及ぼした。

 核禁条約が成立する以前の核軍縮の世界では長らく、核を近年になって保有するに至った 4ヵ国(インド、パキスタン、イスラエル、北朝鮮)を除く核兵器国(米国、ロシア、英国、フランス、中国)による「自発的」な取り組みに依存してきた。広く拡散した対人地雷やクラスター爆弾のような通常兵器とは異なり、核兵器は保有国が限られていたことから、上記 5ヵ国以外はいわば「蚊帳の外」の状態が続いてきた。しかし、核兵器国に依存する軍縮は具体的な成果を生み出せぬまま、圧倒的多数の非核兵器国は不満を募らせてきた。そうした行き詰まり感が漂う中、核兵器がもたらす人道的な「被害」に着目して禁止しようという流れが今回の核禁条約成立の原動力になった。サーローさんと同様、日本の被爆者団体も「ヒバクシャ国際署名」を通じて多くの国内の声を届け続けてきた。

◆対人地雷から20年の成果  

 核禁条約は、前文で「被害者(ヒバクシャ)および核実験の被害者にもたらされた容認しがたい苦痛と損害」に言及しているほか、第 6 条「被害者援助と環境回復」及び第 7 条「国際的協力と援助」でも、被爆者を含む被害者に対する支援を明確に打ち出している。これは、軍縮法の中で初めて被害者支援について言及したオタワ条約では関わる条文があくまで「国際協力と援助」の条項に含められていたため、被害者への支援は技術的にも財政的にも期待されていた成果が達成できなかった。こうした反省から、オスロ条約では被害者支援に関する独立した条項が設けられ、オタワ条約には不在だった被害者の定義も明文化されたのである。オタワ条約の反省が約 10 年後に成立したオスロ条約に反映されたわけだが、その背景には 2006 年 12 月に成立した「障害者権利条約(CRPD)」が障害者の権利アプローチを強く打ち出していたことも大きく作用している。そして、核禁条約の中に戦争ヒバクシャだけでなく、核実験ヒバクシャへの支援が明記されたことも、こうした積み重ねがあったからこそと推察される。

 対人地雷が禁止されてから20年目に成立した核禁条約は、地雷禁止国際キャンペーンやクラスター兵器連合等の地道な取り組みの延長線上に誕生したといっても過言ではなく、人道主義に基づく軍縮は、着実に成果を重ねているのである。それでも世界には未だ支援を必要としている人たちがたくさんいる現実も、胸に刻んでおきたい。

☆核兵器の廃絶を求める「ヒバクシャ国際署名」は次のサイトで署名できる: http://hibakusha-appeal.net/about-us.html

私の来た道(連載第6回)

北川泰弘 JCBL名誉顧問

 JCBL の前代表の北川泰弘さんには、たくさんの「引き出し」があります。様々な機会に伺ったお話はどれも大変面白く、また日本が大きく変わった時代が北川さんの目にはどう映っていたのかを JCBL 会員のみなさまとも共有したいと思い、連載でご紹介しています。

■ 大阪転勤を経てジュネーブへ
 2 年間のカンボジア駐在を終えて帰国した後、今度は大阪に転勤になりました。ちょうど大阪万博(EXPO ’70)が 1970年 3 月から9 月に開催されたときだったので、いろんな人を案内して数限りなく万博に行きました。万博には延べ 6400 万人が来場したと報告されていますが、それにかなり貢献したと思いますよ。案内した人の中で一番の有名人は、作家の遠藤周作さんのお兄さんで、当時は電電公社の近畿電気通信局長、のちに NTT の理事を務められた遠藤正介さんです。遠藤正介さんは東京帝大政治科卒の秀才で、当時は「電電公社の鬼」とか「ドン」などと呼ばれて恐れられていました。大阪時代の思い出は、とにかく万博ですね。そしてまた東京に戻ってきました。その頃「これからはフランス語よりも英語だ」と思って、仕事の傍ら日米会話学院に入学しました。1973 年のことです。2 年間のコースでしたが、1974 年にジュネーブへ赴任することになり、1 年を終えたところで残念ながら中退しました。

 ジュネーブは、国連の専門機関の一つ、国際電気通信連合(International Telecommunication Union: ITU)の本部があるところです。ITU の前身は、1865 年設立の万国電信連合で、世界で最も古い国際機関であり、日本は1879 年から参加しています。私の赴任中がちょうど理事国改選の年でした。それで日本が理事国となり、日本の代表が重要な役職に選ばれるようにするための選挙対策が大きな仕事でした。

 当時の上司だった牧野康夫さんは、日本の ITU 活動や世界の電気通信の普及に多大な貢献をされた方で、1972年からITU 全権委員会議等で日本代表の団長でした。その牧野さんは、ITU の総会が始まると、モンブラン橋のたもとに立ってアフリカ系の人たちが通りかかると全員に握手を求めて「日本をよろしくね」と話しかけるんです。とにかくアフリカ人に見える人は全員です。中には ITUとは全然関係ない人もかなりいたと思うんだけど、そうやってアフリカの国々の票を集めていったんです。すごいなぁと感心しました。

 その他の私の重要な役割は、日本からくるお客さんに日本食を提供すること。日本料理のお店にお連れしたり、自宅を「オープンハウス」にしてジュネーブの友達を呼んで、みんなで話ができる機会を設けました。特に日本からのお客さんに好評だったのがカレーライスだったんです。安上がりだし気軽に作れるのでこちらは大助かりでしたね。ずいぶんに後になっても「みなせさんのカレーは美味しかった」と言ってくれる人がいたくらいですよ。

 私自身はジュネーブの名物、チーズフォンデュが大好物となりました。特に最後の最後にお鍋にこびりついたチーズのおこげを削り取って食べるのが美味しい。チーズフォンデュ用の鍋と串とお皿のセットはジュネーブから持ち帰り、帰国後も何度も使いました。

 みなせは日本の大学で音楽専攻でしたので、ジュネーブでも外国人のための音楽学校に入ってピアノを学びました。彼女は通っていた歯医者の歯科衛生士だった若いジュヌビエーヴと仲良くなり、うちに遊びにきたり彼女の家でごちそうになったりしていました。ジュヌビエーヴとはその後もずっと連絡を取り合っていてJCBLを始めてから地雷関係の会議でジュネーブに行くと必ず会っていました。彼女はつい数年前に日本に遊びに来ました。みなせが脳出血で倒れた後のことで、ジュヌビエーヴは病院を見舞ってくれましたが、みなせは言葉を失っていて話ができなかったのが残念でした。

 私自身はジュネーブの名物、チーズフォンデュが大好物となりました。特に最後の最後にお鍋にこびりついたチーズのおこげを削り取って食べるのが美味しい。チーズフォンデュ用の鍋と串とお皿のセットはジュネーブから持ち帰り、帰国後も何度も使いました。

 みなせは日本の大学で音楽専攻でしたので、ジュネーブでも外国人のための音楽学校に入ってピアノを学びました。彼女は通っていた歯医者の歯科衛生士だった若いジュヌビエーヴと仲良くなり、うちに遊びにきたり彼女の家でごちそうになったりしていました。ジュヌビエーヴとはその後もずっと連絡を取り合っていて、JCBLを始めてから地雷関係の会議でジュネーブに行くと必ず会っていました。彼女はつい数年前に日本に遊びに来ました。みなせが脳出血で倒れた後のことで、ジュヌビエーヴは病院を見舞ってくれましたが、みなせは言葉を失っていて話ができなかったのが残念でした。(読み書き 内海旬子)

JCBL事務局だより