2018年10月 ミャンマー・カヤー州視察報告書

出張者・作成:加藤美千代

1. 行程(訪問先など)

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午前 ヤンゴン→ロイコー着

午後 KNHWO義足工房訪問

    ・スタッフら8名と会談    

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午前 KNHWO 義足工房

    ・義肢製作の見学

午後 支援者Tさんインタビュー

   支援者Tさん宅訪問

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午前 支援者Kさん宅訪問

   支援者Kさんインタビュー

午後 支援者Mさん宅訪問

   支援者Mさんインタビュー

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午前 ロイコー→ヤンゴンへ

 

2. カヤ―州の近況(特に地雷被害者を取り巻く社会環境など)

・カヤー州で最近報告された地雷による死亡者は1人(2015年~2016年)。KNHWOのJOEWIN所長によると、「2010年以降新しい地雷被害者はいない、家畜被害もないのでは」とのこと。
・最近増えているのは、交通事故による四肢障がい者。KNHWO義足工房の支援者の内訳は多い順に、地雷、交通事故、病気(糖尿病など)。
・四肢障がい者に対する差別や偏見は、今回インタビューしたTさんと所長によると「特に感じていない」。
・地雷は、ロピタ水力発電所設備の周りにいまだ埋められたまま。地雷埋設を示すサインは「見たことがない」(支援者Tさん)。
・犠牲者は自宅で小規模な農業を営む者が多いとのこと。収入は十分ではない。親や親戚らと同居(もしくは近所に住む)し、助け合って生活している(ミャンマー地方部では大家族が一般的)。ロイコー郊外で一家5人が一日生きるのに必要なお金は約6000チャット(約548円)(Tさんの場合)。
・地雷犠牲者に多いのがアルコール依存症。家族の支えがない人には、メンタル面での支えが必要。カヤー州には心療内科医がいない。犠牲者らが集まり情報交換をする機会もない。
・切断部を清潔に保てず、感染症にかかる犠牲者がいる。原因は、義肢と脚のサイズ合わせのために靴下を何枚重ねにして履き、その靴下を洗わないこと。サイズが合わなくなる原因は、切断側の足のエクササイズ不足。筋肉減少で足が細くなる。啓発の必要性がある(KNHWOスタッフ、所長)

3. KNHWOの近況

・2018年10月の支援者数は2人。
・6人の技術者のうち、1~2名がローテーションで義足工房に無償で務める。
・材料はある
・カヤー州で活動する他の支援団体のことは知っているが、定期的には会っていない。
・現在の義足ウエイティングリストは10人。
・今後のスケジュール:10月末にタイ・メーソットへ資材の買い出し、11月~12月義足工房で支援を開始

4. 会った人の簡単なプロフィール

・JOEWINさん 
KNHWOの義足製作工房の工房長。40歳。元民族武装勢力の兵士で27歳の時に地雷被害に遭う。

・TUN TUN ZAW(T)さん 
ロイコーから9キロほどの村在住。1999年、食用ネズミを追いかけて、カヤー州ロピタ水力発電所敷地内に知らずに入り込み地雷の被害に遭う。事故後妻は家を去り、現在は自身の父と弟と同居し子ども2人を育てている。松葉杖で生活していたが、2009年、友人(義足利用者)にKNHWOのことを聞き、工房を訪問して義足を得た。その義足が古くなり、2018年に2回目の義足支援を受ける。現在は自宅裏の小さな畑でトマトを栽培して暮らす。水やりや収穫で畑を歩き回るのが大変なので、牛や豚を飼育するのが夢(子牛1頭200,000チャット約15,000円が、2~3年間育てて売ると1,400,000チャット約10万円になるらしい。)

・KWI KWIさん(Kさん 39歳)
2007年、カヤー武装民族勢力の兵士として移動中に、タイ国境付近の山奥で地雷を踏む。カヤー州北部シャン州の病院に入院し、退院後は兵士を辞め、ロイコー郊外の自宅に戻る。2009年まで病院支給の松葉杖を使って過ごす。KNHWO所長の旧友。「他の人と違う姿になって悲しかった、どこにも行けず働けなかった。家族が支えてくれた」。現在は、自宅に1エーカーの畑を持つ農民。子ども3人と妻、義妹と共に生活。

・MAUNG TUさん(Mさん 40歳)
ミャンマー国軍の元兵士。1997年、カレン州とカヤー州の州境で地雷を踏む。国軍病院で治療後、2006年まで国軍に従事、その後カヤー州に移住。軍病院で支給された義足の使い心地が悪く、口コミで知ったKNHWOに5年前に連絡し義足を得る。「KNHWOの義足のほうが使いやすいし痛くない」。現在は、6年前に始めたコンクリート製土管の製造会社を家族で経営。頻繁に30キロの荷物を運ぶせいか、義足の土踏まず部分が1年ほどで割れて壊れてしまう(KNHWO所長によるとミャンマー製足部の通常耐年年数は3年~5年)。義足がないと仕事ができないので、丈夫なものが欲しい。地区の村長も無償で務めている。子ども6人と妻の8人家族。

5. 昨年支援した人のその後の様子(生活環境の変化など)

5-1.TUN TUN ZAWさん
・2009年から使用している義足の傷みがひどくなったことと、サイズ不適合のため、昨年支援を受ける。新しい義足は村の集会などの「お出かけ用」として普段は家の中に閉って大事にしている。古い義足は使えるだけ使いたい。
・新しい義肢を得てから、義肢が壊れたらどうしようという不安がなくなってよかった。
・義足がないと松葉杖を使用するため両手が使えなくなる。両手が使えないと畑の農作物に水もやれないし、バイクやトラクター(移動手段として使用・両方とも知り合いから借りる)を運転できなくなり、どこへも行けなくなってしまう。

5-2.MAUNG TUさん
・昨年で3回目の支援。仕事のために30キロあるコンクリート袋を担ぐ必要があり、頻繁に義足が壊れる。義足の足裏部分が割れると自分で修理して使用している。しかし、修理も限界だった。今回、新しい義足を手に入れてとても感謝している。仕事に集中できる。義足がないと仕事ができずに、本当に困ってしまう。
・義足があると、バイクにも乗れる。去年から居住地域の取りまとめ役(村長)を務めているので、出かけることが多い。義足がなければ、このように社会に貢献することもできなかったと思う。支援に感謝している。

6. 今年の支援に対する期待(と今後の希望)

・現在のウェイティングリストにある10人にまずは義足を届けたい(KNHWO)
・工房を定期的に運営できれば新たな支援(作り直し、修理を含む)が増えていくと思う。義足は消耗品。一生使う物なので、ニーズが減ることはないと考えている。

・現在、KNHWOスタッフらが希望していることは3つ
1.ヤンゴンでミャンマー製資材を利用した義足製作トレーニングを受ける
 現在、資材をタイから調達しているが、化学物質を含む材料の一部をタイから持ち込むのが難しい。ヤンゴンでその代替品をより安価に入手できるが、代替品を使っての義足製作方法がわからない。ヤンゴンで、ミャンマー国内の資材を使った義足製作トレーニングを受けたい。
2.カンボジアでスキル向上トレーニングを受ける
 義足の足部分は、現在は安価なミャンマー製のものを利用。以前利用していたカンボジア製の足部分は柔軟性があり、歩きやすく割れにくかった。カンボジアは技術が進んでいると聞いた。技術者のスキル向上のために、カンボジアで訓練を受けたい。また足部分の調達手段を確保したい。
3.地雷犠牲者を含む支援者を集め、情報交換や衛生知識の提供を行いたい
 犠牲者らを一同に集め、情報交換とKNHWOから衛生知識の講座を行う。心理的サポートになると思う。また、衛生知識やエクササイズを教えて切断部の感染予防をしたい。
 

7. スタッフの抱負

・新しい地雷の犠牲者はいないけれど、一度地雷の被害に遭うと一生義足が必要になる。自分の生活は楽ではないが、(運営資金がない間)ボランティアで工房に来るのは、みんなこの仕事に誇りを持っているから。今年もJCBLの支援で、一人でも多くの地雷被害者や障がい者に義足を届けられるようにします。
・支援者の生活を間近に見てきて、また11年間工房を運営してきて大切だと思うのは、支援者の収入向上と、彼らが集まる場を作ること。資金不足なのはわかっているけれど、なんとか実現できればと思います(技師)

8. 犠牲者支援に関する課題(と思われるもの)

・持続的な資金調達。スタッフらのアイデアやモチベーションは高いが、資金がなくて実行できない。ミャンマーのように社会福祉制度が確立されていない国では、資金的な自立が大変難しい。
・義足製作技術や資材の更新。耐久性があり使いやすい義足の提供。ただし、財政状況や地域の状況を要考慮。最新の技術を取り入れる必要はない。
・犠牲者の収入向上。犠牲者は30代、40代、50代の働き盛りの男性が多い。日々のお金がすぐに必要。例えば職業訓練を受けるなど将来に投資している余裕はない(かつカヤー州でPC等の職業訓練を活かせそうな就労先もない)。農民として暮らす犠牲者らがすぐに収入を確保する方法を見つけることが課題(その一つとして家畜の飼育が犠牲者本人から出されたアイデア)。
・KNHWOが(資金のほかに)今後の課題として挙げていたのは、犠牲者の収入向上手段の確保と心理的サポートの欠如。
・義足提供のみでなく犠牲者の暮らし全体の支援を行う場合、犠牲者の生活様式に合わせた、多様で柔軟な支援の提供ができるかが今後の課題(例:Aさんには心理的サポート、Bさんには耐久性のある義足の提供、Cさんには収入向上)。全ての案を実行するには資金が足りない。スタッフのノウハウは未知数だが、できる範囲で行うのもよいかと思う。