ミャンマー地雷犠牲者義足支援・2018年度活動成果

2019年4月29日~30日
                                    下田

2017年に始まったミャンマー・カヤー州における地雷犠牲者支援活動も2年目に入りました。初年度は47名に義足を提供することができました。
2年目なる2018年度も義足を必要とする人々に対して順調に義足の製作・提供を進めています。今年度の総受益者数は昨年を上回る56名になりました。
以下に受益者の声をお伝えします。

■受益者インタビュー

Ei Maさん(42)女性 消費者連盟職員

2003年2月シャン州の南部で被害にあいました。ちょうど薪に使う木を取りに行っている時のことでした。地雷が爆発した後、何が起きたのか分かりませんでした。大きな衝撃を受けて大声を出して周りの人に見つけてもらいました。ロイコーにある病院に運ばれ2か月間入院し、その時に足を切断しました。足がなくなったことを最初は受け入れられませんでした。医師からは「足を失ったけれど君は死ななかった。もし死んでいたら子どもや家族も悲しむだろう。それに比べれば死ななくて本当にラッキーだったんだよ」と諭されました。でも私には4人の子どもがいたので、どうしたらよいのか本当に先の見えない状態でした。その後シャン州に一度戻りました。知人からヤンゴンで義足工房があることを教えてもらい、ヤンゴンに行き最初の義足を手に入れました。そこで私に転機が訪れました。ヤンゴンで障碍者スポーツに出会ったのです。私はその後、パアンにあるICRCの義足工房で2回目の義足を手に入れ、2008年に3回目の義足としてKNHWOに出会いました。KNHWOを紹介した小さなパンフレットがあって、それを見て初めて知りました。ICRCの工房はとても大きくてスタッフもたくさんいました。KNHWOの工房は小さくて「大丈夫かな」と最初は思いましたが、できた義足を使ってびっくりしました。足先の部分が安定していて耐久性があり、接続部分もまったく痛くなかったんです。それにパアンでは1か月も滞在しなくてはなりませんでした。滞在費は無料でしたが順番待ちも多くて、でもKNHWOでは2日間で作って5日間くらいかけてフィッティングしていくので長くても1週間でできました。それにKHNWOのスタッフはとても親身になって声をかけてくれたんです。先ほど障碍者スポーツに出会ったと言いましたが、国際大会にも出ているんですよ。最初はハイジャンプをしていましたが、それから短距離走、今は砲丸投げをしています。マレーシアの大会では100m走に出て2位になりました。海外選手はカーボン製のもっと軽い義足を付けての出場だったのに、私のほうが速かったんですよ。競技を終えて他の選手から「それはどこの義足なの?」と聞かれたので、「KNHWO製よ」と胸を張って答えました。ほかにも中国やインドネシアの大会にも出場しました。カヤー州では今も私がナンバーワンです。今年も10月にヤンゴンで全国選手権があるので出場します。足を亡くしたことで本当につらい思いもたくさんしました。けれど、障碍者スポーツに出会って、こんな風に活躍できるなんて夢にも思いませんでした。海外にも行くことはなかったと思います。
今こうしてJCBLがKNHWOを支援してくださっていることに本当に感謝しています。けれど、同時に政府に対する憤りも感じています。シャン州の軍病院には義足を作る工房がありますが、軍人は無料だけれど、民間人は有料です。政府と反政府勢力との争いが原因で埋められた地雷で被害に遭ったのに、民間人の被害に対して政府が支援することはありません。私がこうして義足を手に入れられたのも海外からの援助があるからです。本来は政府がやらなくてはいけない仕事を海外に助けてもらっている。こんな政府を情けなく思いますし怒りを覚えます。政権は変わり、被害者に対して一律200,000KYAT(約15,000円)の義援金が送られましたが、それも1回だけ。本当の意味で償いをする気持ちがあるのか疑問です。

私はKNHWOの活動のことを他の人にも紹介しています。ミャンマーでは障碍者を隠したがる文化が根強いです。障碍があることは人生の終わり、と考えている人も少なくありません。しかしそうではありません。義足を得れば別の人生を歩き始められます。それに他の工房にはない、KNHWOの人たちからの精神的なサポートも得られます。他の人たちに活動を伝えているのはその人たちのためでもあり、自分のためでもあります。そうした時間が私にとってかけがえのない時間になっています。

ウーミンサバさん(55歳男性)

2007年9月16日の14時ころ息子と知人と私の3人で木材を町に出荷しようとしていた時、家からそれほど離れていないところで地雷の被害にあいました。翌日、ボートでカヤー州のパサンタウンシップに運んでもらい治療を受けましたが、すぐにロイコーの病院へ移送されました。KNHWO(U Kyaw Win)とは反政府勢力にいた時に知り合ったので連絡を取りました。私の場合、両足に被害があり、片足は切断、もう片足にインプラントをしています。切断した片足にKNHWOの支援で義足を得たのが2009年のことです。インプラントを入れていた足の具合が一向に良くならなくて、歩けるようになるまで2か月ほどかかりました。その間、KNHWOが身の回りの世話を全部してくれました。今でも足が不自由なので働くことはできません。歩くのも15分が限界です。私には6人の子ども(男児3人、女児3人)いました。16年前に妻を亡くしていたので自分が大黒柱だったのですが、被害にあった時点で6人の子どもの教育のことが心配になりました。結局、自分が持っていた土地を売ったり、それまでコツコツ貯めていたお金を切り崩すなどして乗り切りました。長男・次男も働くことになりました。長女は生物学の大学を卒業するまでになりました。長女が学業を修めることができたのも長男・次男のおかげですね。まだ学校に行っていた他の子どもたちにも不便な思いをさせたと思います。学用品など必要な時に必要なものを買い与えることができなかったからです。私が住んでいるこの地域はキリスト教の信者のコミュニティなんです。事故後もコミュニティがあたたかく迎えてくれました。偏見や差別がなかったのはこのコミュニティがあったからだと思います。日常的に支えあいがあるのです。ただ、家に戻ってからしばらくは自分がこのコミュニティに助けられてばかりで、なにもお返しできていないことがとてもストレスでした。これまでの人生の中で辛かったのはその時ですね。地雷で被害にあったことよりも、被害にあって自分のコミュニティのお荷物になった引け目のようなものがとても辛かったです。辛かったことと言えば、忘れもしない1988年から1991年のころ、私は軍のポーターに強制的に従事させられていました。毎日2合分のお米を14人で分ける生活でした。ひもじい思いをしました。ポーターの任期を終えたら家族に60キロのコメが配給されるはずだったのに約束は果たされませんでした。あの困窮していた時期も同じくらい辛かったです。
今回の支援でKNHWOから2回目の義足を提供してもらいました。1回目から10年が経過していて、本当に長持ちするなと感心しています。私のコミュニティには地雷被害者が私以外いないので3か月に一回くらいKNHWOに遊びに行っておしゃべりを楽しんでいます。他の地雷被害者がいたら話し相手になったりもしています。KNHWOは支援者であり、地雷被害者の苦しみがわかる仲間です。誰かの話し相手になることが少しでも役に立つなら、これからも足を運びたいなと思っています。

■プロジェクトに関しての協議・課題

1) 地雷被害者だけではないKNHWOの受け入れ
地雷の犠牲者が最も多いが、最近では交通事故や病気などで足を失う人たちからも要請がある。特に近年、重度の糖尿病患者からの要請が増えている傾向がつよい。KNHWOの優先度としては下がるが、要請を受けて断ることは難しい。KNHWOはカヤー州のコミュニティの中で活動しているので、コミュニティとの信頼関係もある。実際に患者の足の状態を見れば義足が必要なことは明らか。
 
2) 優先順位について

まず地雷による被害者であること。その中でも民間人の優先順位が最も高い。政府軍の軍人については政府の病院のサービスを得られるのでそちらを紹介するようにしている。家庭の状況を聞いたり、足の状態を見て判断している。ただ、家庭状況や足の状態は初診の人たちは比較するまでもなく悪い状態なので、そこから選別をすることが難しい。実際にはスケジュールの調整などで順番を決めて、比較的工房の近くでいつでも来られそうな人は後に回すなどしている。KNHWOの場合、耐久性を売りにしているので、まだ使えるのに交換の要請があった場合には「交換の時期はこのくらいです」と言って断るようにしている。
先ほど言ったように最近は地雷被害者だけでない。ただし、その人たちの優先度は地雷被害者よりも下がる。

3) 女性の割合について

これまでの傾向から言うと1:4(女性:男性)くらいの割合。女性が少ないのはいくつか理由がある。ひとつは実際の被害に遭うのが女性より男性のほうが多いということ。これは他団体の調査などを通じてみても男性のほうが多いことが認められる。二つ目は、実際に被害に遭ったとしても、工房の情報を知らない場合がある。女性は比較的家にいることが多く外部との接点が男性より少ないので情報を得る機会が少ないために、KNHWOをそもそも知らない場合がある。三つ目は家庭内で男性から外に出るなと言われているケース。夫など男性側から被害に遭った女性を隠そうとする傾向がある。こうした封建的な村の状況によって女性が義足を得ることを困難にしている。KNHWOも女性の被害者同士での口コミなどで知らせていけるように、女性被害者たちにKHNWOのことを伝えてもらえるよう促している。

4) 工房の持続的な運営について

持続的な運営については2つある。ひとつはJCBLの支援が半期(10-3月)なので、これを何とか1年間にしてもらえないかということ。4-9月は工房を閉じざるを得ない状況だ。工房に誰かいることが大事で、せっかく工房に来て義足を希望する人たちとの接点を失っている。自分たち技師の給料はいらないので、残り半年間の義足製作に必要な材料費だけ追加で出してもらうことはできないか。半年間で約17万円(5万バーツ)くらいだ。それができると被害者の人たちと常にコンタクトをとれるし多くの人に支援を届けられるのでありがたい。工房を常にオープンにしているという状態が続けられるようになるのが理想だ。
 持続的な運営の2つ目は向こう何年か先を見据えた時の工房自体の持続性について。JCBLが支援を始めて2年間になって工房が再開でき1年に半期だが開けることができるようになった。再開できるようになって思ったことは、義足の支援というのは1度きりではないということ。提供した後のメンテナンス、足がすり減ったら交換するなど、提供してからずっと関係が続いていく。だから工房が持続的に運営できるようになることが必要ということは痛感している。以前も募金箱を置いたり、犠牲者にいくらか負担をしてもらうなど策を講じたが、心情的に難しさを覚えている。誰から徴収して誰からは取らないのかとか、たとえ基準を持っていたとしても村人の状況は千差万別で客観的に基準を当てはめることが難しく、結局マネジメントを複雑にさせてクレームの対象にもなった。有志で募金をしてもらうというのが一つの策かなとは思う。あとは犠牲者が暮らす村にはそれぞれ地酒やソーセージなど特産品がある。そういうものが町中だったりヤンゴンで販売して収益金を充てるという方法もあるかと思う。まだアイディア段階だし、そのために新たなマネジメントが発生するから簡単ではないと思う。